処刑
――外は淡い水色の雪景色だった。地上の濁った大気が天界で清められ、雪となって地面に降り注いでいた。刑務所の屋根が薄っすらと白んでいる。
丈高い塀には有刺鉄線が張り巡らされていた。刑の執行日であった。
神父が独房に入り囚人は最後のひとときを迎えようとしている。
「思い残す事はありませんか…」
初老の神父が落ち着いた口調で囚人に語りかけた。囚人はただぼんやりと壁を見つめている。
年の頃なら三十代後半であろう。男の顔には深い絶望感、虚無感が貼り付いていた。時間は無情に過ぎて行き囚人は何も話さない。
「そうですか。では、そろそろ参りましょうか」
神父がそう言いかけると、囚人が思いがけず陰気な声で縋るように言った。
「神父様、私は無実です。信じてはいただけないとは思いますが、断じて無実なのです」
その言葉をきいて穏やかな神父の表情が一瞬で曇った。
「それはもう調べのついている事なのですよ。それより神の御心に従い神の国に召されるのです。あなたは救われるのですよ」
しかし囚人は話すのを止めなかった。
「私はしがない、こそ泥です。ある立派な屋敷に忍び込んだ際に、宝石類と一緒に一丁の銃を盗んでいたのです。後で分かった事なのですが、その銃こそ妻殺しの殺人事件に使われた銃だったのです。それで私が殺人犯にされたのでございます。しかし、あの銃には犯人の指紋が付いているはずです。なぜ、なぜそれをもっとよくお調べにならないのです？ もう一度お願いですから調べ直してください」
神父の表情が更に曇り、話を遮るように高い声を出した。
「もうやめなさい！」
「神父様。私は死にたくないんです」
「可哀想な人だ。私はあなたの為に祈ります」
「祈りなんて要りません。私は無実の罪で死にたくはありません」
「ええ。わかっていますよ。そうでしょうとも。無実でしょうとも」
神父が急に神妙な声を出した。
犯人が驚いた表情になった。くたびれた表情に光が射したようだった。
「無実でしょうともって、私の無実を信じていただけるのですか？」
囚人は目を合わせようとしたが神父は視線を外した。そして神父はそれ以上一言も発しなかった。
「神父様。私の無実をご存知なのですか、お願いです神父様。なんとかおっしゃってください」
やつれた囚人の顔は蒼白く悲しそうだった。囚人の手が一瞬神父の肩を掴んだがすぐに守衛に振りほどかれた。
絞首台に向かう途中、神父の目に大粒の涙が溢れていた。その涙は深い慈悲の涙として守衛の目に映った。
薄暗い通路を歩きながら、神父は心の中でこの言葉を何度も繰り返した。
（神よ許したまえ。ああ、神よ許したまえ……。懺悔致します。神よ。罪深き私をどうぞお許しください）
神父はその銃の持ち主が、たった一人の自分の息子だと知っていた。だが、どうしてもそれを言う事が出来なかったのだ。
神父が僅かによろめいたが、すぐに守衛が神父の腕を取った。
予定通り死刑は執行された。それは雪が尚一層強く降り出した早朝の事であった。
おしまい
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