おかしな電話
――その男は死ぬつもりだった。人生に絶望したのだ。
男は吹きすさぶ強風の中をその岸壁に向かって歩いていた。真一文字に結ばれた口、頬は青白く、髪はぼさぼさであった。そして男は大きくため息をついて履物を脱いだ。
そのとき不意に電話のベルが鳴った。携帯ではない。
見れば岩陰にプッシュホンが一台置いてあった。
――まさか、命の電話だろうか? 普通こういうものはこちらから電話するんじゃないのか?
しかし、ベルは鳴り止まない。男は仕方なしに受話器を取った。
「もしもし……」
「お客様、今死なれますか?」
「――はあ?」
「今すぐ死なれますか?」
「は、はい」
「そうですか、今ですとあいにく地獄行きということになってしまいますが、よろしいでしょうか?」
「地獄?」
「はい。申し訳ございません。ほとんどのお客様が天国行きを希望されていらっしゃいますので、天国案内人の天使の数が足りない状況でして、地獄案内人の悪魔なら余っておりまして、今ですと地獄行となってしまいますがよろしいでしょうか?」
「……じ・ご・くですか」
「はい」
「できれば地獄には行きたくないのですが」
「さようでございますか。となりますとお待ちいただかないとなりません。天使は出払っておりまして、天使が戻りましてからのご案内になります」
「じゃ、待ちますよ」
「そうですか、まことに申し訳ございません」
「ところであんた誰?」
「あの世サービスの山田と申します」
「……」
「ところでお待ちいただいている間に証明書関係の確認をさせていただきたいのですが」
「は、はあ?」
「天国行きには証明書が必要になります」
「えっ、そうなんですか」
「はい」
「どんな?」
「はい。まず身分証明書ですね。それと住民票、これは本籍地の記載のあるもの。それに登記されていないことの証明書。それと性格診断書、天国行き願書となります」
「ええっ、そんなものがあるわけないでしょうが……」
「そうですか、となりますと仮に本日お死にになりますと地獄行きということになってしまいますね。証明書を揃えていただきませんと行き先は地獄に限られてしまいます」
「そ、そんなばかな」
「申し訳ございません。昨今はコンプライアンスの厳守がとても大切なのです」
「面倒ですね。――まいったなあ」
「お客様、日を改める事をお勧め申し上げます。書類が揃わないと天国にはちょっとご案内いたしかねます」
「……」
男はかなり不機嫌な顔になってとうとう怒鳴りだした。
「冗談じゃない! 死ぬのにいちいち証明書なんてとってられっか! 死ぬのはやめました。死にません。死ぬのは中止だ!」
「お客様、キャンセルでございますね。わかりました。その場合一年間の待機期間を設けさせていただきます。 万が一その期間を経過されずにお死にになりますと地獄行きとなりますので、ご了承くださいませ」
「……」
「尚、特例がございまして、人助け等の善行がありますと証明書さえ添付していただければ他の証明書が完備されない場合でも天国行きとさせていただき……」
ガチャン!!
――男は受話器を地面に思い切りたたきつけた。
おしまい
※画像はO-DANからお借りしています
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