発狂した宇宙人

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夢の人

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 そこは大きく眺めのいい丘の上の公園だった。公園の中央には天馬の噴水があった。しっとりとした緑の芝生が敷き詰められ、その噴水を中心に路が四方に広がっていた。その路の両端には洒落たベンチが設置してあった。

 カップルの為に作られたような公園だった。天馬は白い石像で顔は天を仰いでいた。その天馬は口から水を噴いていた。美しい造形であった。

 

 菜緒は何度この公園の夢を見たかわからない。

 数え切れない程同じ夢を見ていたのだ。夢だと自覚できる夢であった。筋書きは判で押してように毎回決まっていた。夢を見始めるといつも菜緒は一人で公園の入り口に佇んでいた。そして胸をときめかせて噴水の方に歩いていく。

 なぜ胸をときめかすのかというと、噴水を背にして背の高い青年が立っているからである。その青年は綺麗なスーツに身を包んでいた。佇まいに何か清々しい雰囲気を漂わせていた。菜緒は決まってその青年に向かって歩いていく。

 しかし妙な事に青年の顔がよく見えないのだ。霧に霞むように青年の顔の輪郭はぼやけている。それが菜緒には歯がゆくて仕方がない。青年の顔が見たいと思う。そして青年の目の前まで近づく。やっと青年の顔が見えると思う。しかし青年は顔を横に向けてしまう。そこで決まって眼が覚める。

 なんと消化不良な夢であろうか。きょうこそ夢の青年の顔を見ようと思う。しかし見られた試しがない。青年が横を向く瞬間に口元に笑みがあるのがわかる。その笑みがなんとも魅力的で菜緒は心を奪われそうなる。しかし青年の顔は見えない。

 菜緒はもうすぐ三十路の近づく独身女性だ。特に個性があるわけでもない。男と喧嘩別れしたばかりであった。心に何か満たされないものがあった。菜緒は旅に出たくなった。行き先はハワイだった。ハワイには日系二世の男性と結婚した十年来の友達が住んでいた。菜緒は無性に彼女に会いたくなったのである。機内でも菜緒は夢を見た。例の夢である。

 眠りにつこうとした時、今日こそ青年の顔が見たいと強く思った。公園が出現した。公園の花壇に花が咲いていた。いつもとちょっとだけ違うように感じた。前方の噴水にいつものように青年がいた。

 真っ直ぐに菜緒は歩き始めた。青年が両手を前に出した。菜緒を招くような仕草だった。菜緒の足がいくらか早まった。菜緒は青年の腕の中に飛び込んが、青年は横を向かなかった。初めて菜緒はまのあたりに青年の顔を見た。実に美形であった。琥珀色の眼が美しく輝いていた。

「こんにちわ」

 と夢の中で青年が言った。菜緒が微笑んだ。青年の香ばしい匂いがした。二人はベンチに座った。うららかなそよ風が菜緒の頬を撫でた。暖かな陽だまりの中である。

「実はわたしこの夢を何回も見てるの。でも夢の中であなたの顔をどうしても見えなかった」

「僕の顔が?」

 青年が不思議そうな顔をした。

「わたしは夢の中のあなたにずっと惹かれてた」

「僕もですよ。たとえ夢でもあなたの事が気になっていました」

 実に妙な感覚だった。夢であることを菜緒は自覚しているつもりでいたが、こうして青年と話すうち夢ではないような気までしてくる。

「わたし菜緒と言います。あなたは?」

 青年は黙っていた。

「あら、夢の中で自己紹介なんて変ね」

 菜緒が言った。

「僕は……」

 青年が口ごもった。悲しい眼だった。そして青年の様子がおかしくなった。しかし青年は菜緒の眼を真っすぐに見た。そして言った。

「僕は、し・に・が・みです……。 それもあなたに恋した愚かな死神です」

 菜緒が言葉を失った。まわりの世界が急速に色褪せていった。

「死神。まさかそんな」

「あなたに僕の顔を見せたくはなかった」

「なぜ、なぜなの……」

「なぜって。僕を見たらあなたは死ぬ」

 菜緒が困惑した。見る見る青年の顔に変化が生じていった。顔が干乾びた。目が落ち窪んだ。頭髪が抜け落ちた。今までの青年には考えられないような不吉な笑顔を青年がつくった。

 そこでやっと菜緒は目を覚ました。額に汗の粒が光っていた。機内が騒然としていた。機内の非常灯が点灯していた。シートベルト着用のサインだ。大きな揺れが機体を襲った。飛行機の窓から覗く群青色の海面が、真近に迫っていた。

 ――慌てふためく乗客たちの中に、あの青年がいて菜緒をじっと見つめていた。悲しそうにその眼が潤んでいた。

 菜緒の頭の中で青年の声がした。

『僕はあなたに惹かれています。あなたもですよね、僕は貴方に死んでほしくないのです。どうでしょうあなたも死神となって僕と永遠に生きてみませんか? どうです菜緒さん。ねえ菜緒さん』

 

 菜緒の思考はガラスの破片みたいに空中に粉々に砕け散った。そしてそのまま意識が霞んでいった。

 

 

               おしまい

 

 

                    ※画像はO-DANからお借りしています