夢の中の記憶 1
何かが頭の中で透けて見える。それは遠くて近い夢のようだった。それにしてもなんと妙な思考体験だろう。私は無意識界に自分でも知らない記憶を持っていた。
第一日目の記憶
ある朝目覚めると、軽い頭痛がして意識がぼやけていた。喉が渇いて冷蔵庫のコーラを一気に胃袋に流し込む。すると思考を遮る霧が晴れて、つい今まで夢を観ていたことを思い出した。
カーテンを開け放って陽光を迎え入れると、夢の輪郭が鮮明に脳裏に蘇る。かつて夢をこんなに克明に覚えていたことがあったろうか。妙な夢だった。
私は無意識に夢の内容を心の中でなぞっていた。
「田辺さん、僕の事を覚えていますか?」
見たこともない青年がいきなり夢の中で私に語りかけてきた。
「えっ、誰ですかあなた? あっ、えーと」
暫らく考え込んでしまったが、私はその青年を最初から知らないのだから思い出せるはずなどない。ところが私の口から全く予期しない言葉が飛び出した。
「ああ、憶えていますよ。太田君だよねえ」
その瞬間、私は実に妙な心持ちになった。目眩でも覚えるような不思議な感覚だ。記憶が(正確に言えば夢の中の記憶)が鮮明に蘇ってきたのだ。(私がホテル勤務している頃、厨房でアルバイトしていた太田君。生真面目で仕事熱心な太田君。皆から可愛いがられていた太田君)詳細な私自身と青年についての記憶だ。
いやそんな事は有り得ない。現実の私がその記憶を否定する。だいいち私はホテル勤務などした事がない。偽りの記憶だ。私は自分で言った言葉に驚き、とても困惑した。いったいどうなっているのだろう?
目覚めてからも、太田という青年に実は過去に会っているのだろう。などとその時は安易に考えていた。
時計と睨めっこをして会社に飛び出す。いつもの日常だ。妙な夢の事など私はすっかり忘れていた。
その夢の意味などその時の私には考えも及ばなかった……。
つづく
※画像はO-DANからお借りしています