発狂した宇宙人

書き溜めた短編(S&S)をビヨンドで動画化のご紹介、短編(テキスト版)の掲載その他雑記などのブログです

奇妙なひな祭り

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 ――三月のちょうどそれは雛祭りの日の出来事だった。
 

 あまり見栄えの良くない初老の男が、大通りの角の派出所に何かから逃れるようにしてやってきた。顔は痩せていて血の気がない。もっとよく観察すれば、男は息を切らし、表情は熱病にでも侵されたように虚ろだった。

「大変だ! お巡りさん。私はえらいものを見ちまった!!」
 

 男はかすれた声で大仰にそう叫んだ。

「どうしました? まあ、落ち着きない」
 

 警官は頑丈そうな肩幅のある男で、目で訝りながらも取りあえず男に椅子を与えた。

「どうしたのですか。そんなに慌てて事故ですか、事件ですか?」
 

 一呼吸おいて男が話し始める。多少声が上擦っている。

「ああ、私は見てはいけないものを、見てしまったんです!」

「なんですって?」

「とんでもないものですよ」
 

 男は心細そうに周囲を一回みまわした。

「とんでもないものって。いったい何を見たんです」
 

 警官が僅かに眉をしかめた。低い声質だ。

「実は我が家の内裏雛(だいりびな)が……」
 

 そこまで言いかけて男は口を噤んだ。言うのも恐ろしい、そんな感じだ。警官の眼ははただ固く、男を凝視している。

「お宅の雛人形がどうかしましたか?」
 そこで間が空いた。沈黙の異様な間が空いた。そして男は腹を決めたように喋り出した。

「実は今日は娘が孫を連れて我が家に来たんです。だから私は嬉しくて数年間しまってあった雛人形を押し入れから出しました。三段飾りの雛人形です。一番上に内裏雛(だいりびな)二段目が三人官女、三段目が重箱・牛車・桜橘です。ところが、その」

「ところが、どうしたのです?」

「なぜか女雛がないのです。男雛の隣にすました顔で座っているはずの女雛が、そこにいないのです。押し入れの奥まで探しましたが見つかりませんでした。孫娘だってちょっと悲しい顔をしました。娘はそれを知ってちょっと怒った顔をして、お父さん、いったい人形をどこにしまったのよ。といいますが、私には記憶が無いのです。家内も知らないといいます。実に不思議です。まあでも無いものは、無いのだから仕方がありません。私たちは諦めてお寿司を食べたり、お酒やジュースを飲んだりしていました。そうしたら、ああ……」

「そうしたら、どうしたのです」
 

 警官に表情はほとんどなく、ただ壁のように男の前に座っていた。

「ああ、やっぱり私は精神科に行くべきでした。どうしてここにきてしまったのだろう」

「いいから、続けてください。なにを聞いたって驚きゃしませんよ」
 

 警官の声は一種の威厳にさえ満ちていた。男はその言葉に気を取り直したように話はじめた。

「そして、いきなり窓が少し開いたのです。窓には鍵がかかっていませんでしたから。私たちの視線がそこに集まったのは自然でしたが、そこに居たものは自然ではありませんでした。そこには探していた女雛が恥ずかしそうに俯いて、窓の枠に座っていました。そしてあれよあれよと言う間にひらりと宙を飛び、男雛の隣にちょこんと座ってしまったのです。そうしたらです。そうしたら男雛の首が微かに動いたのです。そして言ったのです『遅いじゃないか、いったい今までどこへ行っていたんだ。まさかお前、悪い遊びでも覚えたのじゃあるまいね』男雛が確かにそう言ったのです。でも女雛はなにも言いませんでした。きれいな顔をただ正面に向けているだけなのです。笑っていたのは孫娘だけで、あとの者は凍ってしまいました。もうあまりの驚きで言葉もでないのです」

「なるほど」
 

 警官はその一部始終をきいても、そう言ったきりまるで表情を変えなかった。

「やっぱり、私は精神に異常を来したのですね。きっとそうなんだ」

「そんなことはありませんよ」
 

 警官は不敵な笑顔をつくり立ち上がった。そして男も立たせて派出所の窓まで行き、くもりガラスの窓を静かに開け放った。
 

 するとそこに展開する光景こそどうだろう、そこには仲睦まじい沢山の内裏雛達が、歌を唄い、或いは舞踊を舞い、手をつなぎ合って歩いていたのだ。あそこの交差点に、あそこの路地に、あそこの商店街、そして派出所の前にも……。

 

 

               おしまい

 

 

               ※画像は「いらすとや」からお借りしています