発狂した宇宙人

書き溜めた短編(S&S)をビヨンドで動画化のご紹介、短編(テキスト版)の掲載その他雑記などのブログです

鏡の眼

f:id:Space2020:20210314141916j:plain


「実は……」
 そう言いかけてその男は口篭った。やつれた顔の蒼い唇をした男である。どういうわけかその男は左目を押さえながら入ってきた。

 ごくありふれた眼科の診察室である。水色のブラインドを光が通過して部屋の壁は薄いブルーに染まっていた。
「どうなさいました?」
 医師が促すと男はどぎまぎしながらこう言った。
「先生には信じられないとは思いますが、私の左目と右目と見えるものが違うんです」
「はっ?」
 医師は一瞬意味がわからず、もう一度そう訊き返していた。
「ですから、左目と右目とに見えるものが違うんですよ」
 ちょっと医師が嫌な顔をして男を観察したが変な人間でもなさそうだ。
「よくわかりませんが、どういうことですか?」
 医師がゆっくりとそう言い、男は真剣に言葉を続けた。
「両目を開けられないんです。両目を開けたら酷いめまいに襲われて立ってもいられない」
「どういう話ですか、それは?」
 不審な顔をして医師が繰り返した。
「ですから、さっきから申し上げている通り、左目と右目と見えるものが違うんですよ」
「……わかりました。落ち着いてください。では伺いますが、今右目に何が見えているのですか?」
「先生のお顔です」
「では、左目には何が見えるというのです」
「両目は開けられません。両目を開けたら卒倒するかも知れません」
「では右目を押さえ左目だけをあけて見ましょうか」
 男は医師の言うとおりにして左目をゆっくりと開いた。
「すべて反対に見えます」
「反対に?」
「そうです。鏡文字のようにすべてが反対だ。鏡を見るように見えるんです。左右対称のものを見るのならそれほど困らないのですが。そうでないものを見たら大変です。だから道なんて歩けません。目が回って」
「……」
「先生やはり、私は頭がおかしくなったのでしょうか? 気が変になりそうです。私にはもう両目のどっちが鏡になったんだかもわからなくなってしまったんです」
 男は酷く悲しそうだった。
「あなたは正気ですよ」
 医師がじっと彼の瞳を見据えて静かに言った。
「心配いりません」
「本当ですか……」
「ええ、あまり公表はしていませんが実はあなたのような方が最近増えているのですよ」
「私のような?」
「そうです。どうやらその原因が太陽にあるらしいのです」
「太陽にですか?」
「ええ。最近太陽の表面でとても大規模な爆発があった。その規模ときたら水素爆弾の一億倍に近い……。太陽フレアですよ。その時、凄まじい衝撃波やプラズマ噴出が発生し、それらは地球に接近して、突然の磁気嵐を起こしたのです。高エネルギー荷電粒子が地球に到達すると、デリンジャー現象を巻き起こす。それが原因らしいのです」
「よくわかりませんが……」
「あなたはこの夏、太陽を直視されませんでしたか?」
「えっ? そう言えば先月でしたか、小さな息子を連れて海に行きました。そこで眩しい太陽を見上げたことがあったような……」
「原因はそれだ。そんな風にして目をおかしくされた方がたくさんいるのです。中には失明された方までいる」
 男は不安が増したように大きくため息をついた。
「……で、この目は直せるのでしょうか?」
「直りますとも。実は私、この件について極秘裏に研究しているのです。秘密ですが既に私の治療を受けて完治された方がいらっしゃいます」
 男が希望を見たように多少表情を緩ませた。
 
 ――医師はいたって冷静にこう続けた。

「あなたのような方を探すのですよ。他にもたくさんいるはずなのです。いえ、探さなくてもここにみえるかもしれません」
「先生。それでどうやって治療するのです?」
 患者が心配そうに尋ねると医師が微笑してこう言った。

「あなたと片眼の交換をするのです……」

 

 

               おしまい

 

 

 

                  ※画像はO-DANからお借りしています