発狂した宇宙人

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浅草の夢

 江戸川乱歩

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 浅草ときくと自分はどうしても江戸川乱歩を連想してしまう。

 乱歩という人は浅草と言う街を本当に愛していたらしい。浅草ゆえの東京住まいと随筆に書いていたと聞く。
 自分が初めて乱歩の小説を読んだのは十五年ぐらい前の事で、『青銅の魔人』というのを読んで、全然面白いと感じなかった。それというのもこれは少年探偵団の出てくる比較的後期の作品で子供向けの要素が多かったからだろう。

 それから無知な自分は当分乱歩を読まなかった。しかし八年ぐらい前に、初期の短編集を偶然読んで、これにはもう恐れ入った。『二銭銅貨』『D坂の殺人事件』『屋根裏の散歩者』『芋虫』他、どれもこれも実に面白かった。

 それからすっかり乱歩に魅入られた自分はアマゾンで彼の本を漁りまくった。そして『弧島の鬼』『陰獣』『黒蜥蜴』などに出会い、すっかり江戸川乱歩の世界の虜になってしまった。文章が特別に上手いわけでもないのに、なぜこんなに人の心を惹きつけるのだろう? そんな風に感じた。とにかくその独特の世界がとても魅力的なのだ。
 そして自分がこよなく愛する一編は乱歩らしいトリックもどんでん返しもない『押絵と旅する男』なのである。このお話は当時の高層ビル、浅草十二階(凌雲閣)がでてくる。
「あなたは、十二階へお登りなすったことがおありですか。ああ、おありなさらない。それは残念ですね。あれは、一体、どこの魔法使いが建てましたものか」
 こんなセリフが出て来る、とても幻惑的で切ない幻想文学なのだ。あらすじを簡単に述べると、ある男が十二階の搭から双眼鏡で浅草の街を眺めるうち、とても心を惹かれる女性を見つけるが、居所が中々わからない。
 そしてついにその女の居場所をつきとめて愕然とする。なんとその女は押絵(布細工の一種で、人物や花鳥の形を厚紙でつくり、裂(きれ)を押しつけて張り、その間に綿を入れて高低をつけて仕上げたもの)の絵だったのである。

 それでもその女を愛しく思う男はある方法を用いて絵の中に入り、女と仲睦まじく暮らすが男だけが年老いてしまう物語で、その絵を弟が大事に持ち歩いていると言う顛末で、夢かどうかもわからない。

 幻想と哀愁とが混然一体となった読後感がたまらない物語である。これぞ時代の先駆、バーチャルリアルティではないかと思う。
 乱歩が東京で遊民的生活(学校を出たが働くところがない的な、或いは退屈な)を送っていた大正時代、浅草は帝都最大の盛り場として大変賑わっていたということだ。浅草は浅草寺を中心として栄えた江戸以来の門前町で、参拝する人々をあてこんだ多くの飲食店や見世物が立ち並ぶ盛り場であったそうである。

 明治時代、浅草公園には日本パノラマ館などがあり、それが映画館に移り変わって行ったようだ。浅草六区の映画街や花やしき見世物小屋、大道芸それらが若き乱歩の心を躍らせ、あの名作の数々を生み出したのではなかろうかと思う。『白昼夢』『踊る一寸法師』などがいい例だろう。
 何度となく浅草に行ったが、いつになく人が多く雷門の周りには外国からの観光客も沢山見受ける。だが、大正の時代に想いを馳せれば、乱歩がその小説の構想を胸に描きながら浅草界隈を闊歩していた様子が、幻のように心の中に浮かんでくるようだ。

 乱歩はまた知識欲の塊で、有名な蔵の中にはおびただしい数の書籍があり、それは小説の資料で、膨大なデータベースであった。
「空想的描写にこそ、よりリアリティが必要だ」と乱歩が語ったそうだが、とても好きな言葉だ。話が飛躍するようだが、あのシュールレアリスムの巨匠、ダリは現実をとても正確に描写する技術を持ち、その現実の配置や構造を変形・変化させることによって、強烈なイメージの芸術世界をつくりあげている。

 考えてみれば、小説と絵画の違いだけでやっていることは乱歩と似ているではないか。勝手にそう思う。
 また話が飛ぶが、乱歩の作品がテレビドラマや映画になるとどうしてああも幼稚になるのか不思議だ。乱歩はエドガー・アラン・ポーコナン・ドイルらに追従する本格探偵小説を書きたかったのに大衆はエロ・グロ・猟奇などの変格小説を好んで読み、その方が売れたようだ。仕方のない話で大衆とはそういうものなのだろう。

 ただ言えることは乱歩の作品はとてもエンターティメント性に富んでいてわかり易いということだ。だが逆にそのエンターティメント性は当時の一部の本格探偵小説家には安っぽく映ったかもしれないと思う。
「現し世は夢、夜の夢こそまこと」とは乱歩の座右の銘であるが、つまりこれは現実は夢のようなもので、夢こそむしろ真なのだと、そういう意味に自分は解釈している。
 乱歩論はこれまで多くの優れた人達が沢山書いているので、無知の自分としてはこれぐらいにしておかないといけない。
 では この辺で。ただ自分は乱歩さんの恩恵をいつまでも忘れずにいたいと思う。